大会あいさつ
32年前の1975年、昭和50年に第1回新座母親大会が開催されました。
その年の母親大会の年表を見ますと、「近隣4市共催12回を経て、独自に開催するようになる。市内の母親運動に参画していた団体と、子どもの問題で運動していた団体と個人で、実行委員会を構成する」とあります。
新座母親大会の前に、1962年、昭和37年から、朝霞・志木・和光・新座の4市共催で「朝霞4市母親大会」が12年間にわたり開催されていました。
さらに7年さかのぼって、1955年、昭和30年に第1回の日本母親大会が開催されました。
母親大会のおこりは、1945年のヒロシマ・ナガサキの被爆に続いて、10年後の1954年、アメリカのビキニ環礁で行われた水爆実験で、3度にわたって死の灰の犠牲者を出した日本の母親たちが、「子どもたちを核戦争から守ろう」と原水爆禁止の運動を始めたものです。
さて、ヒロシマ・ナガサキの被爆から61年、その後の半世紀にわたる核廃絶の運動にもかかわらず、世界には現在、3万発の核兵器が存在するといわれています。
さらにあらたに、北朝鮮が核実験にふみきり、世界を震かんさせています。
これに呼応するように、日本の「核保有」の声すら上がり始めています。
日本は核の悲惨さを知る唯一の被爆国として、核の無い世界を希求してきました。
身近に迫る核の危機にひるまず、核廃絶を世界に訴え続けていきましょう。
さて、国会では、教育基本法を改定する法案の審議が、行われようとしています。
教育基本法は、日本が世界に誇る「9条」を持つ平和憲法と一体をなすものです。
私は小学校3年の時に敗戦を迎えました。小学校から中学校にかけて体験した戦前の軍国主義教育と、戦後の民主主義教育の違いを、忘れることはできません。
とりわけ、教育基本法によって行われた、戦後の民主主義教育は、それをいきいきと実践していた当時の教師の思い出とともに、その後の私の生き方の原点となっています。
戦前のように、教育の主権を国に渡すことは出来ません。教育の主権者は国民なのです。
このところ、子どもや大人による、いじめや暴力、自殺、殺人などが目立ち憂慮されています。
命の尊厳をどう取り戻してくか、このあとの朴慶南(ぱく きょんなむ)さんの記念講演をお聞きして、ご一緒に考えていきたいと思います。
第32回新座母親大会実行委員長 竹森絹子